佐久貞祥寺の三重の塔四方に動物や花の彫り物がしてあってめずらしい、またここには島崎藤村の旧宅があった。 赤壁の家、藤村のパトロンであった神津家、江戸時代末期には50町歩、約500石の大地主であった。土蔵が25もあったが現在は5個だけにしてしまったという。石畳も当時のまま年貢米を運んできたわだちがへこんでいる。 マツクイ虫のせいか枯れ枝の松がめだっている現在も100本の松があるといわれているまた広重の東海道53次の中の25前後だったように思う。
久方ぶりにダイビング、機材の点検もかねてゆっくりやってこようとでかけていったのでしたが、まさか今の時期に視界2m以内なんて思いもしないことでした。それでもタコ、メバル、ミギマキ、ウツボ、マメダワラ、などちょっとは楽しめたのですが仲間と、はぐれてはと早々に引き上げてきました。ここではもういろいろな花が咲き競いびわも色づき始めています。